2009年1月28日 (水)

なにひとつ、変えない

ウチの家人、テレビを付けっ放しにして、うたた寝するのが常。その気持ち良さ気なことといったら・・・・。で、そぉ~っと消そうとすると急に目を開けて、「あっ、観てるから。」とか言うんですよ。しかし、テレビの音がすごく苦手な私は、キーッと叫んでろくろっ首になることが多いのですが、本日だけは感謝。

深夜起きてみると、ちょうど映っていたNHKの番組で、企業再生専門弁護士の村松謙一さんが、こんな風におっしゃっていました。

『悲しみは乗り越えなくてもいい。乗り越えようとすると傲慢になる。悲しみと一緒に行けばいい・・・』と。

そして、可能性が低くてもやりますか?との質問に、『可能性がゼロでもやる。頼って来た人を、最後まで守り抜く。』、とも。

ううむ・・・!母親魂がモリモリと元気になりました。画面を観ながら、よっしゃー、私も、ぐわんばるでーと気合を入れました。

さてさて、ホ・オポノポノな日々を過ごすこと10日あまり。

凝り性な私は、早速オポノポノ・グッズを買い求め、ブルー・ソーラーウォーターを飲み、想念が湧くたびにイレース、イレース、寝ても覚めても、セッセと消去を続けております。ほんとに面白いです。私の掻い摘んだ説明では、全く全貌が伝わらなくて申し訳ないのですが、先日の日記にコメントを書いてくださった”あいさん”のご感想に、少し補足をさせてくださいネ。

どうやらホ・オポノポノでは、変えようと努力をすることは、しないようなんですネ。

で、どうするのかというと、ひたすらメモリーを消し続けるのみなんです。

例えば、こんな具合です。

私のところに、恋人に裏切られて、意気消沈した友人が訪ねて来て、その嘆きを話してくれたとします。

普通はその友人を、なんとかしたい、力になりたい、と思いますけれど、オポノポノではその前に、こういう風に考えます。

「今、彼女がこんな目に遭って傷ついているのは、私の中のどこが癒されていないのだろうか?」、と。つまり奇妙な言い回しですけれど、友達がフラれたことの原因は、私の中にあると見ます。そして彼女は、私の中に埋没している部分を、この三次元の姿として見せていてくれている、というのです。

そうやって自分自身に問いかけると、その原因となるメモリーが、記憶という深い沼の中から、ポッカリと浮上することがあります。でも、顕在意識では把握できないこともあります。

その両方をひっくるめて、「ありがとう、愛しています」という言葉で消去をします。でも、なかなか一度では消えないことが多い。でも、とにかく何度でも消し続けてゆくのです。

それはまだメモリーのなかった時、「空」の状態、万能で、曇りがなく、すべてが想い通りに出来ていた状態に近付こうとする作業というのです。

そしてそのときに、「彼女に、こうなってほしい、ああなってほしい」という我を入れないようにします。それらは自分の執着であって、また新たなるメモリーを、そこに付け加えてしまうからです。

そうして彼女への想いをリセットして空にすれば、彼女は開放され、自分で自分の光に辿り着き、彼女のいるべき場所、するべきことを見つけられる、そういうことなんだそうです。

私も先日、気の置けない友人たちと、あれこれお喋りする機会がありました。

そのうち悩み告白大会と突入しまして。

普段なら、「ああすれば?こうすれば?」と、必死で説得してしまうのですけれど。(そしてその努力が報われたことは、思えば一度もありません。)

これはチャンス!とばかり、オポノポノのテクニックを、心の中で使ってみました。

本当に不思議なんですけれど、その後、嬉しい変化があったとの報告が続いています。

もし、彼女たちの心が晴れず、再び悲しい顔で私の前に現れるのであれば、その都度せっせと、メモリーをクリーニングし続けます。「彼女って、こういう人」という決めつけは、ますます彼女を今の状態に縛り付けてしまいますから、注意しなければなりません。

だから、「全てを変えられる」というのは、いつか辿り着くかもしれない希望のことであって、今はひたすら何一つ変えようとはせず、自分自身を見つめ、自分自身を知る。そういう感じなのではないでしょうか?

ブルーソーラーウォーターなんかで、どうしてメモリーが消えるの?と問われれば、私も理屈は解りません。

でもその水を飲みながら、「ありがとう、愛しています」と口にするたびに、心のクビキが外れ、爽やかな風が生じるのを確かに感じます。(ついでに言うと、”ごめんなさい””許してください”は、相手に言うのではなく、自分の魂に向かって言うのだそうです。)

そうしていつか本当に、”空”になる日が突然やってくるかもしれませんネ・・・・。

絵里

| | コメント (2)

2009年1月24日 (土)

記憶を消去し続ける

先日、横浜のサトミちゃんから、不思議な本が送られてきました。

「みんなが幸せになる ホ・オポノポノ」という、ハワイに伝わる秘法の本です。

著者のイハレアカラ・ヒューレーン氏によると、私たちの人生に現れる全ての障害や苦しみの原因は、私たちの潜在意識の中にある記憶(memory)なのである、と。

ビックバーンにまで遡る膨大な記憶のひとつひとつが、私たちの行動、生き方に反映され、知らず知らずのうちに、本来の生き方を歪めてしまうのだといいます。

では、いったいどうしたら良いのか。

その答えはいたってシンプル。

それらの記憶を、片っ端から消し続けてゆけば良いのだ、と。

それにはとても有効な呪文があって、『ありがとう。ごめんなさい。許してください。愛しています。』この4つの言葉を呟くだけでいいというのです。

他にもハワイらしい情緒ある”おまじない”がいくつもあって。

たとえば青いガラスのボトルに水を満たし、太陽の光の下に30分~1時間おいたものを『ブルー・ソーラー・ウォーター』といい、これを飲み続けることで、さまざまの記憶を消すことができる。

あるいは植物や動物に触れるときに『アイス・ブルー』と呟くと、動植物を癒すことができ、そのお返しに動植物から、癒しのエネルギーが送られてくる。

イチゴやマシュマロ、バニラアイスクリームを食べる。などなどなど。

本を読み終え、平クンをチャイルドシートに乗せて、閉店間際のスーパーに飛び込み、青いボトルの焼酎を買い(中身は家人にさしあげ)、朝日が出るのを待ち侘びてブルーソーラーウォーターを作り飲み続けました。身体が冷えるからとご法度だった、イチゴやマシュマロもこの際解禁です。

いつもならつい文句をいってしまう場面で、「ありがとう。愛しています。」(コレ、感情や実感は必要ないとのこと。)と、無理にでも呟いてみます。ホントーかなぁ、なにか変わるのかしら・・・うーむ。

さてさて、わくわくしながら”おまじまい”を続けること数日。

あらあら不思議。本当に気持ちが良い。いや、すこぶる良い!それだけでなく・・・こんなに平穏な心持ちになったのは、どれくらい久しぶりだろう・・・というくらい、心晴々、心軽やか。こんなに簡単でよいのかしらん。

記憶が消える、といっても、もちろん認知症になるわけではありません。過去の記憶に引きずられて、現在の私がその悪影響を受ける、というモードが変わり、現在そのものを体験できるという、ただそれだけのことなんです。

不思議・・・不思議だ・・・

これは体験した人でないと解らない感覚なのかもしれません。

私の中に積み重なった膨大な記憶の層が、サラサラと微細な砂粒になり、それがこの宇宙のどこかにある、大きな記憶のブラックホールのようなものに流れ込み、そして瞬時に光と変わってゆくような・・・いえ、自動的に変わり続けているような、本当に奇妙な爽快感です。

ヒューレン氏は書いています。

この世界で何が起きていても、その責任は100%自分自身にある、と。

だから100%自分の責任と考えないと、何ひとつ解決しないのだ、と。

出発点は、すべて自分の責任として引き受けること、それがたとえ、何であっても。

私はこれを読んだとき、「ああ、これで私は助かった・・・」という、奇妙な安堵感に包まれました。100%自分の責任なら、どうとでも変えてゆける。人のせいにしないで済むのなら、私は完全な自由の中にある。

でもこの本、今このときに出会ったからこそ、ジャストマッチしたような気がします。きっと出会う順番というか、タイミングというか、そういう絶妙なものがあると思うんですよね。

もしこの日記を読んで、何かがピンと来て、

この秘法に出会い幸せになる方がひとりでもいらしたら、ほんとうにうれしい。

だって私はあなたで、あなたは私なんだから。

この本を読み終え、そして気に入ったのなら、思わず言いたくなるかもしれません!

ありがとう。

愛してます。

絵里

| | コメント (6)

2009年1月14日 (水)

偉大な芸術家は、いつもアマチュアだ

St2c0033

むむむ?これはなぁ~んだ?(写真はクリックすると大きくなります)

ふ・ふ・ふ。

10ヶ月になった息子が、私のケイタイをイタズラして初めて撮った写真です。

おぉー、シュールだ!手術台の上のミシンと蝙蝠傘くらいシュールだ!と、親バカなおっ母は、ひとり叫んでいます。

St2c0032_2

じゃ、これは?

家人が通販で、電動泡立て器を買ったんですけど、その10倍くらいの容量の外箱入りで、おまけに甲子園球場の7回に空中に飛ぶ、ジェット風船みたいな巨大なエアクッションが、これでもかと、しこたま詰め込まれており。

”なぁ~んだ、こりゃ、エコじゃない!けしからぬ!”と鼻息を荒くしていたところ、横で見ていた平クン。

やおら箱に入り込み、クッションを出したり入れたり、箱を叩いたり蓋を開け閉めしたり、押したり引いたり、ひっくり返したり、楽しく遊ぶこと約30分。

おっ、エコじゃないのも、たまにはイイねー。

”偉大な芸術家は、いつもアマチュアだ”と、エリック・サティは言ったとか。

”偉大な芸術家の母は、いつも親バカだ”とは、言ったとか、言わないとか・・・・

絵里

| | コメント (0)

2009年1月13日 (火)

換えっこ・変えっこ

先週は、アチラコチラしきりと贈り物が行き来をした。

大入島の五十川先生からいただいた新鮮な海の幸の数々を、薪ストーブでサッと炙り、家人が買って帰った地物の純米酒をチビチビやりながら、風の音を聞いている。

日本文学界の鬼才・稲垣足穂は、夫人・志代さんの手記によると、時折ひどい鬱状態に襲われることがあったというが、そのような際も身近な人に、何気ない心の篭ったこと・・・例えばハンカチ一枚でも贈るなどすると良いと言って、気が塞ぐときは着物の解き物など自ら進んでしてくれていた、という記述を、ふと思い出した。

代表作『少年愛の美学』で知られるタルホ翁は、奇人奇行で有名だけれども、私はこういう精神の持ち主を、無条件で信頼したくなる。何も気が滅入るときばかりに人に贈り物をしたくなるわけではないが、”欲しければ与えなさい”の黄金律が、ここでも生きてくるような気がしている。

精神の病も、身体の病も、その滞りが先ず第一の原因であろうが、物事が停滞して上手く行かないときにこそ、何かを手放すことが功を奏する。物もエネルギーの一種であるから、エネルギーを交換することは、今の状態を即座に変えてゆく力を持っている。

さて、日曜日は、満月だった。満月には毎月、自分の欲しいものについてチェックをするようにしている。

今、私が切望しているのは実に体重で、もともと小さい頃からヤセの大食いであったのだが、授乳を続けているせいで、体重が麻生内閣の支持率のごとくグングンと落ち続けている。食べても食べても追いつかない。

宇宙の法則からすれば、与えればタイムラグを経たのちに増える、ということらしいので、卒乳の暁には、立派な肝っ玉母さんに変身できているかもしれない。

怖いような・・・楽しみのような・・・

えぼ鯛が焼けた。

絵里

| | コメント (0)

2009年1月10日 (土)

キミの中のわたし

私とは、何だろう・・・?子どもを産んでから、ますます分からなくなった。

わずが数ヶ月の間にお腹がズンズンと膨らんで、女性ホルモンは一気に1000倍にもなり、ある日突然、人の姿をした愛らしい生物が狭い産道から外へと飛び出し、いきなり我が家を占領したかと思うと、あれよあれよという間に生活が一変してしまった。

今日が何日なのか?自分は前に進んでいるのか?人の目にはどう映っているのか?

そんなことは全く気にせずに、気がついたら1年近くが経っている。

そんなある日、息子のために、久しぶりに友人が訪ねてくれた。

私が昨年の秋に書いた笙についてのエッセイを、偶然に銀行のロビーで見つけ、ふと思い立ってわざわざ休みを取り、はるばる大分市内から愛車を飛ばしてやってきてくれたのだ。

息子へのプレゼントにと、ベビードールのような彼女が、大事そうにティディベアを携えている。手触り、大きさ、色、顔つきといい、何とも具合が良さそうだ。この熊ならきっと、幼い息子の優しい話し相手になってくれるに違いない。友人に因んで、名前はヒナ坊と付けさせてもらった。

「ヨダレと鼻水で、ヨレヨレにしてくれたまえ。」手渡すときの台詞がまたイカしている。さすが、詩人を生業としている彼女である。

あれこれと近況を聞くうちに、最近新しくブログを書き始めたことを知った。

彼女の帰宅後、ハッスルしすぎて沈没した息子を、新入りの熊と共にベッドに寝かせ、やおらパソコンを開く。

何年も何年も何年も、言葉というものに、どこまでも誠実に向き合っている彼女の、静謐な世界がそこに広がっていて、山の頂上に吹く新鮮な風のように、人知れず湧き出る清水のように、私の心を、爽やかに包んでくれる。

ずっと、忘れていたものを思い出した。

彼女の中に、自分を再び見つけた気がする。

私とは何だろう・・・?

分からなくなったときはふと、周りを見渡して見るといいのかも知れない。

私以外の、すべて。

それが実のところ、私自身なのかもしれない。

窓外の凍てつく湖面に、綿雪が吸い込まれてゆく。

※歌人の友人~ひぐらしひなつさん

絵里

| | コメント (0)